平和であっても、自由であっても、人間(あるいはユマニスム)であってもそういうものからじかに出発したら駄目だということである。自己の中の生活と経験とが発展し、深化されて、おのずから、その経験そのものが平和を、自由を、人間形成を定義するようにならなければ、またそういう人々の期せざる一致によって指示されるのでなかったなら、すべてが軽薄になり、混濁してくると思うのである。
「霧の朝」森有正エッセー集成3 34頁
平和であっても、自由であっても、人間(あるいはユマニスム)であってもそういうものからじかに出発したら駄目だということである。自己の中の生活と経験とが発展し、深化されて、おのずから、その経験そのものが平和を、自由を、人間形成を定義するようにならなければ、またそういう人々の期せざる一致によって指示されるのでなかったなら、すべてが軽薄になり、混濁してくると思うのである。
「霧の朝」森有正エッセー集成3 34頁