レビ記とは

祭司の書と呼ばれるレビ記は主に法規を集めた書物です。トーラー(狭義における律法)の規定の半数がレビ記にあります。祭司制度、儀礼、祭り、清潔、聖性に関する規定が扱われています。

1‐7章:犠牲と儀礼に関する法

8‐9章:アロンとその息子たちの祭司任命

10章:アロンの2人の息子、ナダブとアビフが不浄の火を捧げ殺される。

11‐15章:清いものと汚れたものに関する規定

16章:贖罪日

17‐26章:イスラエル人の生活規則

レビ記の著者と年代

学者の中には、バビロン捕囚帰還後の第二神殿のための過去資料に基づく儀礼規則の集大成であると考える人もいます。しかし、捕囚以前の資料は、第二神殿時代には意味をなさなくなっていたため、レビ記の成立も捕囚以前とも考えられます。著者は不明です。

レビ記の内容「隣人を愛しなさい」

イスラエルの民がシナイ山に宿営していた頃を背景としています。宿営地の中心には、幕屋が建てられており、全体が神の所有地と考えられてました。そのため、民は自らを清浄に保つ必要がありました。

祭司は聖所(幕屋)に入るときには、汚れがないことが要求されました。具体的には死体等に触ってはいけないことが決められました。これらの規定は医学的機能も持ったものでした。祭司は月経や疾病を判断する役割を担っており、いわば診察する立場でもありました。

実際に祭司が聖所での行動規定に従わなかった場合には、宿営地に疫病が蔓延する(民数記1:53、8:19、17:10)などの被害が訪れました。これらの経験から、イスラエルの民は不衛生を不浄と捉え、神との関係として捉えなおし、律法の中に衛生観念を取り入れていきました。

(福音書における「良きサマリア人」では、祭司は死にかけの怪我人の横を通り過ぎる記述があります。これは非情なわけではなく、レビ記の規定に基づいた行動でした。祭司は決まりとして「死体」には触れることができませんでした。さらに、触れれば民全体が疫病に襲われる恐れがあったのです。しかし、イエスは「99匹よりも1匹の羊」を探し出すように、共同体の益ではない、目の前の一人に対する愛を訴えたのでした。)

また、祭司だけでなく一般の人々も清浄を保つ必要がありました。彼らは口にする食べ物を選び、不浄と見なされる動物は食べてはいけないこととなっています(不浄な生き物)。これは、正統的ユダヤ教徒にとっては現代においても通用する掟です。この規定も当時の荒野時代での苦い経験がベースとしてあるはずです。

また、疾病などの場合には一定時間を経過しないと神殿に入れず、また定められた「犠牲」を捧げることにより、「清い」状態へと戻り、社会生活の復帰が許されました。犠牲の体系は神と共同体の関係を整えるための手段として整備されました。

しかし、レビ記全体が上記のような「生活からの教訓」のみに留まっているわけではありません。19章には十戒が再び登場し、さらにレビ記全体を特徴づけている規定として次の言葉があります。

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

物理的な清潔を保てば聖所に入れるということをレビ記は主題としているわけではありません。「あななたたちは聖なる者となりなさい」(レビ記19:2)との言葉は、身体的な清潔のみならず、その内面においても「聖なる者」、つまり神の近くにある者となることが要求されたのでした。